「場所は普通の家の和室です。牧師先生に来ていただいて結婚式を挙げてもらえるのですか?」という問い合わせでした。
良いことも、そうでないことも、二人で歩いて来て、いっぱいあったとのことです。
事情により、今は、特別に節約すべき時期とのことでした。
しかし、彼は、どうしても、彼女のために結婚式をして、彼女の夢だった純白のウェディングドレスを着せてあげたかったそうです。
そして、自分たちのけじめとしても、これから生まれる赤ちゃんのためにも・・・
彼の自宅の8畳の間。和室に並べられていた座布団にご両親、お友達、それぞれが座り始めた時、
そこは素晴らしいいチャペルになりました。
素晴らしさは、建物や特定の場所から生まれるのでなく、「ひとの心=まごころ、が集まったところ」から生まれると思います。
聖書では、新約聖書中の「教会(エクレシア)」というギリシャ語の本来の意味を大切にして、次のように教会を定義しています:「教会とは、建物や場所を示す言葉でなく、呼び出されし心を持った人たちの群れたるところ、つまり、人の群れを教会」と呼ぶ。
キリスト教に関係する人も、関係しない人も・・・、
迎える人も、迎えられた人も・・・、
見守る人も、見守られる二人も・・・、
みんなが、心からの「おめでとう」で集まり、「そこ」で二人を祝い、二人の幸せと繁栄を祈るなら・・・「そこ」も街の教会と同じく、二人のための特別な、美しいチャペルではないでしょうか。
二人のためにまごころの人たちが集まれば、普通の家の和室も、教会とおなじく素晴らしい教会です。
そのような場所/教会では、牧師も心からの「おめでとう」の人となり、集まった方々の一部分になってしまいます。そういう牧師の心の土台こそ、二人のために特別な挙式をささげることができる「聖壇」かもしれませんね。
結婚式:和室という教会
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